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田端義夫

田端 義夫(たばた よしお、1919年1月1日 - )は、第二次大戦前から現役歌手として活躍し続けている日本の演歌歌手・歌手。社団法人日本歌手協会名誉会長。愛称はバタヤン。水平に構えた年代物のエレキギターと威勢のよい挨拶がトレードマークである。

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2009年11月23日 トラックバック:- コメント:-

明石屋さんま

明石家 さんま(あかしや さんま、本名:杉本 高文(すぎもと たかふみ)1955年(昭和30年)7月1日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、歌手、ラジオパーソナリティー。

1980年代後半以降、タモリ、ビートたけしと共に、日本のお笑い芸人BIG3の1人として称される。

和歌山県東牟婁郡古座町(現在の串本町)生まれ、奈良県奈良市育ち。 奈良県立奈良商業高等学校卒業。

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2009年10月22日 トラックバック:- コメント:-

宮城 まり子

貧しい母子家庭に出生、幼くして母、弟と相次ぎ死別するつらい少女時代を送った。1950年9月、ポリドールより『恋はお荷物』でレコードデビューをしたが、A面の青葉笙子『七色の花』の方が話題になった。1951年、ビクター移籍第二弾『あんたほんとに凄いわね』が初ヒットになった。そして、1953年、レコードで歌った『毒消しゃいらんかね』が流行し一躍歌手としてその名が知れ渡った。1955年には『ガード下の靴みがき』も大ヒットした。その後も『納豆うりの唄』『てんてん娘』『夕刊小僧』などヒットを連発。

NHK紅白歌合戦にも1954年の第5回から1958年の第9回までと1960年の第11回から1962年の第13回までの計8回出場している。このうち、第5回から第9回までは宮城の歌のラジオの音声が現存する。1958年、日本初のカラー長編アニメ映画『白蛇伝』で声優を務める。その後、女優業に進出し、1958年、『12月のあいつ』で芸術祭賞、1959年、『まり子自叙伝』でテアトロン賞を受賞。

1968年に肢体不自由児の社会福祉施設「ねむの木学園」を静岡県浜岡町(現御前崎市)に発足(1997年から掛川市に移転)。この頃より、タレント活動は事実上引退状態となる。1974年には記録映画『ねむの木の詩』を製作・監督し、第6回国際赤十字映画祭で銀メダル賞を受賞した。1976年には、『まんが世界昔ばなし』の声優として名古屋章とともに共演。1977年には『ねむの木の詩がきこえる』を製作した。1979年、「ねむの木養護学校」を発足。1975年と1981年に実施された、近畿放送(京都放送=KBS京都)テレビ番組『宮城まり子のチャリティーテレソン』を通して身体障害者の社会参加を訴えた。これらが評価され、1979年総理大臣表彰された。

また、身体障害者に対する手描き友禅、合唱の指導なども行っている。

なお、ねむの木学園設立時のエピソードは、1980年代にテレビ朝日系でアニメ化されたことがある。

作家吉行淳之介と交際し、彼の死までよきパートナー関係(都内の互いの自宅で同居)であったことはあまりにも有名。また、信心厚いクリスチャン(プロテスタント)でもある。

2007年3月、日本経済新聞『私の履歴書』に自伝を執筆した。

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2009年10月22日 トラックバック:0 コメント:0